東京リアル~パパ活事情「突然始まったパパ活~美佳の場合~」


「うわっ!美佳さん、それルブタンですよね?かわいぃ~」
西麻布の交差点にあるVERANDAでソファに座ったとたん、向かいに座っていた律子がテンションの高い声を上げる。
先端にスタッズが飾られているものの攻撃的ではなくエレガントなデザインと赤いソールはブランド名を言わなくても一目で分かるデザインだ。
「もしかして、上山さんに買ってもらいました?」
明るい声とは裏腹に探るような視線を向けているのを美佳は笑顔でかわす。
「この間六本木でご飯食べる前に散歩してたら偶然見つけちゃって」
ダイアンフォンファステンバーグのワンピースのリボンを直すしぐさをしながらさり気なく答える。
「いいなぁ、上山さん。私もちょっと本気でパパ活がんばろっかなぁ~」
イブサンローランのリップをしっかりと塗った唇を尖らせながら、律子は可愛く頬を膨らませた。
「酒井さん、最近どうなの?」
律子の最新の「パパ」である酒井さんは音楽関係の仕事をしていると聞いている。
「それが全然ダメなんですよー」
聞いてくださぁいと声のトーンを上げる律子に「ちょっと待って、飲み物を決めてからね」と店のスタッフを呼びながら美佳はふと1年前の自分を思い出していた。

「突然始まったパパ活~美佳の場合~」パパ活読み物

One year ago PM 17:00

17時を過ぎた。
時計を見なくても分かるのは、定時になるとオフィスの電話が一斉に時間外のコールに切り替わるからだ。
それまで鳴っていた電話が沈黙し、広いオフィス内はキーボードを叩く音やあちこちで打ち合わせをする人たちの話し声が響く。
関東の外れにある短大を卒業して内定をもらったのは神保町にある小さなメーカーだった。
事務の仕事は9時に出社をして社内の備品を確認したり、依頼された書類を作成したりといった誰でもできるような業務。
急ぎの仕事は滅多になく、ほぼ毎日定時には上がれる至ってホワイトな職場だ。

―――今日も終わった。

美佳は小さく溜め息をつくと、毎日の決まった手順の通りにPCの画面を操作し電源を落とす。
給湯室に行き、昼に食べ終えて洗っておいたランチボックスを保冷ケースに入れるとロッカーからコートとバッグを取り出してデスクに戻る。
春物の新作を横目にセールで手に入れたSpick & Spanのガウンコートは今年の冬、ずっと欲しかったもの。
本当はブラックが欲しかったけれど、セールの時に残っていたのはグレーとブラウンだった。
他の人に取られない様に2枚のコートを手にして代わる代わる体に当てて鏡の前を陣取り、散々悩んだ末ブラウンにした。
薄いグレーは魅力的な色だったけれど、薄い色のアウターはクリーニング代を考えると怖くて手が出ない。

―――イロチ買い、しても良かったかな。

コートを羽織ってバッグに手をかけながらまた小さく溜め息をつく。
欲しかったけれど微妙に納得のいかない、妥協した色のコート。
本当は定価で黒を買いたいところだが、美佳の手取りだと到底手は出ない。
狛江のワンルームでささやかに一人暮らしをしている状態だと服にそこまで出したくないのが本音だ。
そして今手にしているアンテプリマミストのバッグも同様。

「お疲れ様」
電源を落としたPCの前でぼんやりしていた美佳の隣のデスクから声をかけられる。
同じ事務の仕事をしている美津江先輩はメイクポーチをゴヤールのバッグに戻すと、持ち手を肩に掛けてにっこりと笑った。
ダスティブルーのゆったりとしたニットにベージュのパンツ。
ブランドは分からないけれど、小奇麗にまとまったファッションは美佳の一回り以上も年上には見えない。

新卒で入社し、去年主任になった美津江先輩は二人の子供を育てながら働く兼業主婦だ。
「あの人はいつも定時でしっかり帰る」と苦笑する上司を気にも留めず、仕事をきっちりとこなし颯爽と帰っていく。

―――結婚して共働きをすれば、私にも余裕が出来るのだろうか。

タイムカードを押す美津江先輩の後姿を見つめながら、ふとそんな気持ちになる。
けれど、次の瞬間ゴヤールのバッグが1年以上アップデートされていない事に気がついた。
そしてニットの袖口に小さな毛玉がついていた事も。
第一印象は良くても、平日ずっとデスクを並べていれば小さな綻びが目についてしまうのは仕方がない事。

―――中途半端な余裕なら別に要らないかな。

美佳は小さく頷くと、まだ残っている周囲の社員へ挨拶をしタイムカードの方へと歩き出した。

PM 17:30

SANKOUEN CHINA CAFE&DININGに入ると、既にカウンターで前菜を前に香織はグラスを傾けていた。
リリーブラウンの刺繍が入ったダスティピンクのニットを着て、レースの白いスカートから出た足が綺麗に伸びている。
短大時代から、自慢の足を香織は隠す事をしない。
ピンクの柔らかそうな風合いのニットは丸い輪郭の顔立ちを優しそうに見せることに成功している。
流行の装飾的な袖のせいで、二の腕の太さも上手くカバーしている。
でも、私だったらもっとすっきりと着こなせるのに。
ノーブランドだけれど高見えするとSNSで話題の、安い通販のニットを着ている自分が少し悔しい。
プチプラコーデを自信をもってする事も出来ず、中途半端なブランド品しか手を出せないのが今の自分だ。

「お待たせ」
深呼吸を一つして声を上げながらカウンターに足を進めると、スマホから顔を上げて香織は小首をかしげて美佳を見上げた。
「久しぶり~元気だった?」
スマホの画面を裏返してカウンターに置くと隣に座った私へメニューを差し出してくる。
「前菜だけ先に頼んじゃったけど、後は全然決めてないんだ~」
語尾を少し伸ばすようにして話す癖は短大の時から変わらない。
女受けより男受け、服も声のトーンも男に媚びる様な雰囲気の香織は同性の同級生からは少し距離を置かれていた。
けれど同じゼミにいた事から美佳とは何くれとなく行動を共にする事が多かった。
それは頼まれたら断り切れない美佳の性格と、香織に対して特別嫌悪感を持たないからこその付き合いだ。
美佳は同性に嫌われても男にモテたいという心境は羨ましいとも嫌だとも思わない。
むしろ清々しい位のそのアピール力に時たま賞賛の眼差しを向ける位だ。

と、メニューを覗き込んだ先、香織が隣のスツールに置いてあるバッグが目に入った。
雑誌で見かけたばかりのアレキサンダー・マックイーンの新作が無造作に置かれている。
白をベースにピンクの造花が飾られたバッグはインパクトがあり、誰が買うのだろうと思いながら眺めていた。
値段は確か40万以上したはずだ。
銀座に本社がある、と言えば聞えは良いが結局は歴史だけが長い小さな編集プロダクションに香織は勤めている。
流行の服ならば趣味の1つとして納得も行くが、こんな高額のバッグを買うほどの収入はないはずだ。
社会人になったばかりの頃、お互いの収入について話し、学生時代の理想とは程遠いその金額にため息をついたのを覚えている。

ボーナスの時期でもないのに大凡実用的ではないバッグを手にした理由が分からない。
月に一度程度会って食事をしているが、ここ数か月恋人の話はさっぱりだ。
「あぁ、これ?かわいいでしょ?」
バッグに釘付けになった視線に気がついた香織はふふっと笑いながらスツールからカウンターへバッグを移動させた。
入れられるものと言ったらハンカチと財布にスマホ程度。
けれど、白をベースにピンクや青、赤い花達が美術品の様に飾り付けられたそのバッグは紙面で見るよりも美しく、カウンターのライトを浴びて光っていた。

オーダーする事を忘れてましまじと見つめる美佳に香織は「可愛いでしょ?」と囁く。
「うん、この間雑誌で見てインパクトあるから覚えてて……高かったでしょ?」
何の気なしに、という風に聞いてみると香織は「うーん」と言いながら右手の人差し指を唇に当てて笑っている。
こういう態度が媚びていると言われる所以なのだけれど、美佳は気にしない。
「パパが買ってくれたから、値段は見てないのよね」
「え?」
不意に出た一言に思わず聞き返す。
「あ、そういうパパじゃないよぉ。変な事想像したでしょ!」
やめてよーと言いながら軽い力で背中を叩かれる。
「ご飯食べたりお茶したり、買い物に付き合ってもらったり、そういう感じかなぁ?」
唇に当てていた人差し指を顎で止めて、にっこりと笑いながら香織はまた首を傾げた。
「それで、バッグ?」
「うん、可愛い~って言ったら、香織ちゃんに似合うよって買ってくれたの、それだけ」

恋人でもなく、食事をして40万のバッグを買ってもらう。

理解できない話に美佳は頷く事も出来ずに、ただ銀色のチェーンがついたバッグを見つめる事しかできなかった。
「もぉ、美佳ったら疑ってるでしょぉ?」
香織が笑いながら美佳の顔を覗き込んだ時、カウンターに置かれた香りのスマホが震えた。
画面を見た香織は「うーん、と」と小さく呟く。
「ねぇ、美佳ぁ~今日って中華じゃないとダメ?」
チャイナのカウンターにいて突然何を言い出すのかと思いながら「え……別に」と中途半端な返事をすると、香織はカウンターに置かれたバッグを手にしてスツールから降りた。
「それなら、今から別の所にご飯食べにいこ?パパがご馳走してくれるって」
「え?」
今日2回目の戸惑いが声になって出る。
「大丈夫!本当にご飯だけだし、パパだって賑やかなの好きだから全然OKだもん」
食べかけの前菜の皿と飲みかけのグラスをカウンターに残したまま香織は美佳の腕を笑顔で引いた。

会計を終えた後、神保町の駅前の通りでキョロキョロとタクシーを探す香織に「どこに行くの?」と声をかける。
「六本木!大好きな女友達と会うって言ったらパパも会いたいって連絡が来てぇ。ねぇ、美佳ってフレンチ大丈夫だよね?」
「う……うん……だけど……」
会社の近くで女友達と気軽な晩御飯だから通販で買った安いニットとスカートを合わせてきた。
それが六本木でフレンチとなると話は別だ。
神保町からタクシーで遠くはない距離とは言え、平日の夜に行く事なんてほとんど無い。
「でも、そんな突然……」
戸惑う美佳に、香織はアレキサンダー・マックイーンのバッグを振り上げるようにしながらタクシーに向かって手を振りつつ答える。
「平気よ、帰りのタクシー代は出してくれるし、美佳にだってお小遣いくれるからぁ」
「え?」
タクシー代?お小遣い?
香織の言った言葉の意味が分からないまま、美佳は滑り込むように止まったタクシーの中に押し込められた。

機嫌よく造花で飾られたバッグの中からリップを取り出し唇に載せる香織の隣で、美佳は無意識にコートの襟元をぎゅっと握っていた。

PM 19:30

Jean-Georges Tokyoのエッグキャビアを前に、美佳は香織と香織の「パパ」である吉永さんの会話を聞いていた。
「それでねぇ、さっき美佳にこのバッグすごい褒められたのー」
甘いトーンで話をする香織は終始笑顔でいる。
その香織に向かって「うんうん、良かったね」と相槌を打っている吉永さんは、長身に品の良いスーツを着た物腰の柔らかい人だった。
年は40代半ばくらいだろうか。香織からタクシーの中で聞いた話だと何代も続く企業の社長だという。
厭らしさを感じさせない笑顔で美佳と香織をエスコートし「好きなものを食べなさい」と勧めてくれる。
わーい、とわざとらしい位にはしゃいでシャンパンとエッグキャビアを頼んだのは香織だった。
「それで、美佳ちゃんは何の仕事をしているの?」
卵の上に載ったキャビアを落とさない様に慎重にスプーンを入れていた美佳は、不意に名前を呼ばれ体がビクリと反応してしまった。
「私は、メーカーで事務をしています」
六本木のフレンチレストランにはあまりにも似合わない職業に、思わず泣きそうになる。
唇を嚙みながら、手にしているスプーンを握る手に力を込めた。
「そうなんだ、落ち着いてて良いよね。仕事ができる感じがするよ」
意外な返答に思わず顔を上げると、優しい笑顔で美佳をみつめる吉永さんと視線があった。
「えー香織もお仕事頑張ってるよぉ?」
美佳との視線に割り込むようにして香織が吉永さんに絡む。
「そうだね、香織ちゃんも頑張ってるのはいつも聞いてるよ」
よしよし、なんて頭を撫でそうな雰囲気で香織の方を向きながら、吉永さんは笑顔を崩さない。

そうして、7割は香織が話し、2割は吉永さん、残りの1割を香織が話すといった雰囲気で食事の時間は過ぎて行った。

2時間ほどのディナータイムを過ごした後マデュロに行くという二人に白旗を上げたのは美佳だった。
「明日も仕事で早いので」と告げると、2人は「あぁ」とさして引き留める様子も無く頷く。
「今日はごちそうさまでした、ありがとうございます」
お礼を言って、それじゃあここでと六本木駅を探そうと二人から離れて歩き出した次の瞬間だった。
「美佳ちゃん、待って」
振り返ると吉永さんが笑顔で美佳のすぐ近くに立っていた。
「これ、帰りのタクシー代」
そう言って右手に押し込められたのは数枚の1万円札。
「え……これ……」
感触とざっと見た感じ2枚や3枚ではない。
「後は食事に付き合ってくれたお礼だから」
戸惑いながら香織の方を見ると、吉永さんの背後で大きく頷いている。

―――帰りのタクシー代は出してくれるし、美佳にだってお小遣いくれるから

タクシーの中で香織が言った事は本当だったらしい。
けれど、それにしても金額が多くないだろうか。
使った事は無いが、六本木から狛江までタクシーで帰ったとしても数万もかかるとは思えない。
「次もまたご飯付き合ってよ、あと今度は買い物とか行かない?」
買い物という言葉に香織の持つバッグが脳裏に浮かぶ。
「ミッドタウンでもヒルズでも、洋服とか好きでしょ?」
どう答えていいか分からず下を向いたままの美佳に、吉永さんは答えを急かす事も無く言葉を続けた。
「また美佳ちゃん経由で誘うから、良かったら一緒においで。僕の友達も一緒でどう?」
吉永さんの友達なら、同じようにお金持ちなのだろうか。
そんな考えが不意に浮かび、次の瞬間美佳はチラリと吉永さんと目を合わせて小さく頷いた。
「私で良ければ、はい」

PM 21:45

タクシーの中で数えると5万円あった。
二人が見ている手前タクシーに乗ったけれど、行先は渋谷だ。
まだ電車は動いているから、渋谷から下北沢で乗り換えれば狛江までは一本だ。
渋谷までのタクシー代を引いても、4万以上は確実に残る。
「これがパパ活……」
テレビで特集しているのを見ながら自宅でご飯を食べていたことがある。
けれど、自分が実際にやる事になるとは思わなかった。
滅多に口にする事が出来ないものを食べて、他愛のない話をして数万円。
月に数回会えばあっという間に美佳の月収に追いつく。
しかも相手は一緒にいる事も嫌な外見でもなく、そして口説く事もせずただ楽しく食事をしながら話をするだけだ。

それに。

―――洋服とか好きでしょ?

自分も香織のように、最新のバッグを買ってもらったりするのだろうか。

渋谷の街並みが見えてくる頃、美佳の気持ちはすっかり次への期待へと変わっていた。